日向坂46は、秋元康のプロデュースにより、2015年11月30日に結成されました。
2019年2月11日までは、「けやき坂46」名義で活動していましたが、日向坂46にグループ名を改名。
2019年3月27日にシングルデビューを果たしました。
東村芽依は、日向坂46の1期生として活躍するメンバーです。
2016年(平成28年)5月8日、彼女が高校3年生の時に「けやき坂46 メンバーオーディション」に合格。
結成当初は欅坂46(現在の櫻坂46)のアンダーグループである「けやき坂46(ひらがなけやき)」として活動していました。
2024年9月18日リリースの、日向坂12枚目シングル「絶対的第六感」の活動をもって、卒業すると発表した東村芽依。
今回は、彼女のこれまでの歴史を、デビュー当時まで遡ります。
Contents
日向坂46 東村芽依が誕生するまで
東村芽依の生い立ち
東村芽依は奈良県出身で、おっとりとした関西弁を話します。
1998年(平成10年)8月23日生まれの乙女座、血液型はO型です。
3人姉妹の末っ子として、可愛がられて育ちました。
子どものころからの愛称は「めいめい」で、現在もそう呼ばれています。
小学校6年生までピアノを習っていたことが知られています。
小学校のマラソン大会では、5年連続で優勝した経験のあるめいめい。
2017年10月放送の欅坂46の冠番組「欅って、書けない?」(テレビ東京)で、50m走のタイムを測定したことがありました。
その時のめいめいのタイムは7.69秒!
その時の上位5人の記録を、参考までに記載しておきます。
加藤史帆 7秒62
渡邉美穂 7秒65
東村芽依 7秒69
潮紗理菜 7秒72
小林由依 7秒90
短距離走・長距離走を共に得意としていることや、その高い運動能力から、しばしば「奈良のチーター」と呼ばれることもあります。
中学時代には、定期演奏会で見たカラーガードに惹かれ、カラーガード部に所属していました。
高校時代は「遊びたい」という理由から、週1回のみの活動であった茶道部に所属し、友人とよくユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ遊びに行っていたそうです。
けやき坂46 メンバーオーディション
長濱ねる1名が「けやき坂46」と決まった2015年11月30日を結成日とし、2016年5月8日は長濱ねるとオーディション合格者11名、計12名での「活動が始まった日」とされています。
めいめいは、2016年(平成28年)5月8日、高校3年生の時に「けやき坂46 メンバーオーディション」に合格します。
日向坂46としての東村芽依
表題曲のフロントメンバー
2020年(令和2年)1月12日放送の日向坂46の冠番組「日向坂で会いましょう」(テレビ東京)にて、2月19日に発売となる日向坂46の4thシングル「ソンナコトナイヨ」で、初めて表題曲のフロントメンバーに抜擢されたことが発表されました。
フロントメンバーは、めいめいのほかには、デビューシングル“キュン”から4作連続でセンターを務める二期生の小坂菜緒、二期生の金村美玖、そして一期生の加藤史帆、齊藤京子を合わせた5人でした。
初のセンターポジション
2021年(令和3年)5月26日に発売された日向坂46の5thシングル「君しか勝たん」に収録されている1期生曲「どうする?どうする?どうする?」では、めいめい初のセンターポジションを担当しました。
初センターとなった「どうする?どうする?どうする?」は、ゆるくて可愛らしいダンスが、飾らない一期生らしいと評判になりました。
SASUKE2021
めいめいは長い間、「SASUKE」に挑戦することを望んでいましたが、2021年末に行われた「SASUKE2021」で初めての出場を果たしました。
はじめての「SASUKE」は、第1ステージの「シルクスライダー」で着地時に勢い余って池に落ちてしまい敗退。
その約1年後には「SASUKE2022」に出演し、前回失敗した第1ステージのシルクスライダーを片手1本でつかみ、着地にも成功しました。
しかし次なる難関の「ドラゴングライダー」を超えることはできずに落ちてしまい敗退。
日向坂46の冠番組「日向坂で会いましょう」で、番組内の「第3回企画プレゼン大会」でめいめいが提案した「KASUKE」という「SASUKE」の模倣版のような企画が採用されました。
発案者のめいめいも最終ステージの「KASUKE」までたどり着き、制限時間内にゴールして2年連続で果たせなかった夢の「完全制覇」を達成しました。
まとめ
けやき坂46の1期生として、2016年5月に加入しためいめい。
デビュー当時は、極度の人見知りであることからトークは苦手で、全ての感情を涙で表現するという「MC泣かせ」でした。
そんなめいめいも自分の個性を見出せたことにより、現在ではトークもしっかりこなせるように成長を遂げました。
卒業が発表され、最後の1年となる2024年、得意の全力疾走で駆け抜けていってほしいと願っています。