
米津玄師は、いま10代20代から熱い支持を受けているミュージシャンです。
2009年頃に、「ハチ」という名義でニコニコ動画にボーカロイド楽曲の投稿を始めました。
「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」などの楽曲が注目を集め、ボーカロイドシーンでその存在感を確立。
2012年5月には、本名である「米津玄師」名義で初のアルバム『diorama』をリリースし、メジャーデビューを果たしました。
肩書はシンガーソングライター、音楽プロデューサー、イラストレーター、映像作家と、多岐に渡っています。
そんな米津玄師ですが、新曲「1991」のミュージックビデオ(MV)を2025年10月15日に公開しました。
この曲は、現在大ヒット中の実写映画『秒速5センチメートル』の主題歌として、米津玄師が書き下ろした曲です。
今回の記事では、「1991」のMVを中心に、楽曲が生まれた背景や実写映画『秒速5センチメートル』についてもご紹介いたします。
Contents
米津玄師 「1991」
米津玄師が子どもの頃に出会ったアニメーション映画『秒速5センチメートル』。
17年の年月を経て、米津玄師はその実写映画の主題歌を手掛けることになります。
楽曲タイトル「1991」の意味
主人公・遠野貴樹の心に深く刻まれている、ヒロイン・篠原明里と出会った1991年の日々。
そして、米津玄師自身と監督である奥山由之の生まれた年も1991年。
と考えると、1991は個人的な原点を思わせる象徴的な数字だとわかります。
「1991」の歌詞は、主人公の心の動きを繊細に描いており、映画の世界観と深くリンクしています。
「君の声が聞こえたような気がして 僕は振り向いた」は、失われた誰かへの未練や、すれ違った過去への想いを表しており、まさに『秒速5センチメートル』のテーマと直結しています。
「君といたかった 雪のように ひらりひらり 落ちる桜」という歌詞からは、思い出が時間とともに消えていく情景が浮かんできます。
原作の世界観をリスペクトしながら、主人公に自らを重ねて描いたのが「1991」だということが、『秒速5センチメートル』の映像なしの楽曲だけでも十分伝わってきました。
「1991」は、記憶、喪失、そして再生といった『秒速5センチメートル』の核心を、美しくも痛切な言葉で描いたラブソングなのです。
「1991」MVの内容
「1991」のMVは、奥山由之監督が手がけています。
奥山監督は、実写映画『秒速5センチメートル』の監督も務めており、同映画の主題歌である「1991」のMVも担当しました。
奥山監督と米津玄師は同じ1991年生まれで、これまでに「感電」や「KICK BACK」といった米津玄師のMV制作にも携わり、深い信頼関係を築いています。
MVは、米津玄師一人きりのリップシーンで構成されており、桜と雪がひらひらと舞い落ちる幻想的な映像が特徴です。
米津玄師の独唱とも言える内容になっています。
米津玄師 『秒速5センチメートル』との出会い
新海誠による原作『秒速5センチメートル』
『秒速5センチメートル』は、2007年3月3日に公開された新海誠監督によるアニメーション映画です。
米津玄師はこのアニメーション映画と、子どもの頃出会ったと言います。
「秒速5センチメートル」は、ひとりの少年を軸にして描かれる、独立した3本の作品(「桜花抄」、「コスモナウト」、「秒速5センチメートル」)からなる連作短編アニメーションです。
ちなみに、「秒速5センチメートル」の意味するところは、あるいは雪を思わせもする「舞い散る桜の花弁」が地面に向かって落ちゆく速度だということです。
米津玄師のコメント
映画を試写で初めて見させてもらった時、冒頭から終わりまで全てのカットに奥山さんの熱意と執念が滲むその出来栄えに「すごいものを見た」という興奮をおぼえました。
子どものころ原作と出会い、数年まえMV監督としての奥山さんと出会い、やがて映画監督にもなった彼がこのような素晴らしい映画を撮り、そこにわたしの居場所があったのが嬉しくてなりません。
映画の為に書き下ろした曲であるのはもちろんですが、先述の経緯による影響もあってか同時にわたしの半生を振り返るような曲にもなってしまい、映画のキーワードでもあるところの1991というタイトルにさせてもらいました。
どうかよろしくお願いします。
まとめ
MV公開後に集まったファンからのコメントは、楽曲の解説を読むよりもずっと心に響いてきます。
一部をご紹介して結びとさせていただきます。
「このじわじわ心に語りかけて来る感じ 人それぞれの人生の葛藤 やり切れなさ 米津さんはいつでも優しく包み込む」
「これから1991を聴くときには2025の寒い日と試験を前にしたこの感情が思い浮かぶと思います。良い歌を作ってくださってありがとうございます。」
「生まれて来てくれて、ありがとう 生きてきてくれて本当に、ありがとう」